木って、きれいだなあおもいます。長年かけて育った木の、ひと枝がきられてても毎日見てると、だんだんに一部になってくのがわかったりして。ゆっくりゆっくり、まんまるにもどってくのを、見るのがすきです。
それと似たノリで、「きれいだな~」とおもうひとが、たまにいます。顔のつくりとかほとんど関係なくて、なんていうんだろう、「このひとは多分、地の果てまでいったとしても、このひとであり続けるんだろうな」というか。それでいてなにとも、戦っていない感じというか。
そんなふうになれたら、もっといろんなものごとがはやくすすむのになあとおもいつつ、迷うし考えるし、「これでいいんだ!!」とゆるぎない自信を持ってはじめるようなことはほとんどなくて。おっかなびっくりやりながら、ある時点で「あ、あってた」と、ほっとするような。
ベランダの植物をみてるとき、感じることも似てるかも。ちっちゃなまんまるが、いくつもあるかんじ。それぞれによっておおきさというか生命力みたいなものがあるんだけれど、きゅーーってしぼんでも、だいじょうぶなときならまた、ふくらんで。夏場とか、水をあげてすこしして、ぴんっ!となってるのに気づくと、ちいさく感動します。
ふくらんで、しぼんで、くりかえしてくりかえして、おなじみたいだけれど、おなじじゃなくて。ものすごくシンプルに、こういうふうにあれたらなあと、おもうんですけれど。
ぎざぎざもぐつぐつも、どんなものも出し切ったらまんまるになる、ような気もしています。おわり。