すきなものごと

毎週金曜日、21:00更新。車いすダンサーです。HP:watername.net

環世界のいりぐち、みたいなもの

このあいだ、仕事終わったあとに電車で移動していたら、そとがあかるくて、すっかり日がのびたなあと、しみじみしました。

目的地についたら、下限のほそいほそい三日月で、そらが紺色で、そういうものを見ているときの景色がちがう、ことに改めて、気づきました。

空を、みあげるのは癖みたいなもので、夕暮れどきはとくに好きだから、そとにいるときはけっこう、見ているはずです。でも、日をまたいで頭にイメージとして焼き付くようなものっていうのは、「いつものところ」がおおい。

行動範囲が限定されていた、というのもそうだし、慣れないことをやっていると「慣れる」ことにものすごく、労力をつかっていたから。景色を記憶するくらいの余裕はやっと、できてきたんだなって。

環世界、というのがけっこうすきで。ユクスキュル、というひとが提唱したんだったと思います、動物たちはそれぞれの本能にしたがって、生存に必要なもののみで世界認識をしているから、それぞれに見えているものがちがうのだ、というはなし。

たとえばウニは、ものを認識するときに、全部が「影みたいなもの」にしか見えていないらしいです。人間には見分けがつく、岩と船も、いっしょくたに「影みたいなもの」として認識している、というのが言説のひとつ。

それで、言語学者の丸山圭三郎さんによると、「人間の本能は、言葉によってすでに壊れていて、本能残基しかのこっていない」。人間の認識は言葉で出来ている、というのも丸山圭三郎さんの言説なのですけれど、

車の種類に詳しいひとがみたら「ぜんぶちがう車」でも、種類をしらないひとがみたらぜんぶ「車」。船と岩の見分けがつかない、ウニにちょっと似てるなって。

動物が種によってちがう世界認識をしていて、人間が個人によって、世界認識がちがうのだとしたら、わたしの場合には、なんで夕暮れがすきなのか、なんで音楽が特別なものだったのか、環世界のなかで色濃く認識されているものには、理由がありました。

いちいちをことばにうつしかえる、癖がついていた時期があって、それが脳内図書館におさまっていたので、その理由も、ある程度までは羅列できました。でもほんとうは、変わっていって、イメージとしてしかおもいだせなくなる、ようなものだったのかもしれない。そういうものが、言葉じゃなくてイメージみたいなものにかわったら、素敵だな。

脳内図書館、まえは必要なときにさっと、まるっと文章が出てきたんだけれど。いまはその機能(?)が若干あやしく、その分ダンスにまつわること、にうつしかわっています。記憶の仕方も、映像と音と感覚の断片、みたいなものに変わっていて、これからどうなるのかなあって、ちょっとたのしみです。おわり。

 ○。きょうの一曲。○

ミス・パラレルワールド / 相対性理論

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こないだ、ぼのぼのの愛蔵版みたいなの読んでたら、いがらし先生とやくしまるさんが対談されてて、とてもよかった。相変わらずきもちいい~。