夏の洋服は、たのしいです。
ka na taのふくを着ていることがほとんどだけれど、夏は服単価がやすいので、それ以外のワンピースをちみちみ買ったりもします。白いワンピースはだいたい毎年一着は買って、ワンシーズンで着倒しておわり、とか。
メラニン色素の吸収率が異常にいいので、帽子は毎年必須です。夏の終わりには、松崎し○るになっていないことを、祈るばかりです。
ワンピース、とかを見返していると、なんというか上品というか、そういう系統のがおおいことに気づきます。それから、ちいさいころ、こういうの着せられていたなあ、とも。
ちいさいころの写真は、ものすごく不機嫌そうにカメラを睨みつけて、ワンピースを着ているものが多かったです。子どもをあつめる料理教室みたいなのに、ちいさいころからいかされてた記憶があります。祖母が先生だったので、亡くなるまでは茶道もやっていて、書道の先生もしていたので、夏休みはプチ合宿。家にアップライトのピアノあって、本もたくさんあったので、それらはあるのがあたりまえのもの。そういうことにまつわるすべてが、ものすごく嫌だった時期がありました。思春期って、そういうものなのかも、ともおもいますけれど。
タイトなパンツにドクターマーチンのパチモノ、ごついジャケットとか、かとおもえばパンクっぽいのとか、かとおもえば胸元がばーな花柄とか(ないのに……)、なんかいろいろ着ていたなあとおもいます。エスニックにはまっていた時期もありました、でもいま無意識に手にとるのがそういうのになった、っていうのは、ある意味どうでもよくなったから、かもしれないです。
たぶん、そういうのってそれぞれに、色があるんですけれど。たとえばジャージにスウェット、みたいなのをいつも着る習慣がちいさいころにあったとして、それが影響していたとしても、根本のところはたぶん、かわらないよなあ、みたいな感触が、あるからかもしれないです。
そのひとでしかないもの、って、それぞれあるんだとおもうんですけれど。「こういうのが、いい型だよ!」ってなると、それに寄せていくものなのかもしれないですね。
見た目でいろんなことが「わかる」ことになっていますけれど。「わかる」ってなに??みたいなのは、いつもあります。理解とは、誤解の総体だ、とはよくいったものだなあ、とも。おわり。
○。きょうの一曲。○
ハナノユメ / チャットモンチー
えっちゃんの、けものじみた目つきが、さいこうにすきです。