最近、本棚があふれてきたので本の整理をしていました。おもむくままに買っているとすぐに本棚があふれる、というのは本好きあるあるだとおもうのですが(この域を超えると、「本を収納できる家であるか」を基準に家を選ぶようになります。こわい!)、わたしは一回読んだあとに、読み返しそうなもののみ残します。それでもいっぱいになったら、また全体を精査しなおす。
そういうことの繰り返しで出来上がった本棚なので、見られるのは裸を見られるよりもずっと恥ずかしい。
ひとがくるときに、他人の目線になったつもりで部屋のなかをチェックする、というのをやることもあるんですけれども、その延長線上で自分の本棚を見るとですね、「……うわあ」ってなります、
とにかく脈絡がないし、その時々で好きだった作家さんの、最低でも一冊ずつは残していて、読んでるのも小説的なものだけじゃない。学術書からなにから、雑多だしたまにやばいのがまじっている。
いまはクロゼットのなかに本棚を入れているので、ある意味、正しい収納、といえましょう。
背表紙を見れば「あのときはこういうことを考えていた」というのが、ある程度うかんできます。わたしにとってはそれは、時間の凝縮があらわれたもの、でもあるんですね、
性(さが)、みたいなものってあるとおもうんです。わたしが得意なのは採掘。いまやってることのなかには、そうでないこともあります、
無理している、のともちがう、めのまえの飛び石を、いっこずつ飛んでいたらいつの間にか、って感じです。そういうことがたまに、すごく不思議になります。
まだまだ、とおもいつつ、いっこずつ、ともおもいます。そゆことを、おもいださせてくれるものがすきだなあ。おわり。