さいきん、全般的にうっすらとねむい状態で、毎日をすごしています。禁煙しているんだけれど、煙草って覚醒作用あって、わたしチェーンスモーカーだったから、
ねむみ先生がからだのどこかしらに、常にくっついている感じ。ねむーみねむーみ……………しながらかえっていたら、お月さまがおおきくて、
スーパームーンの日でした。やわらかくしろいひかり、に、ちょうど海のちかくで。ひたひたと、満ちてゆくみたいに。
みずもやわらかいひかりも。わたしのイメージする「いのち」に、ちかいもののような気がします。
満ちて欠けてまた満ちて、波のイメージと似てる。よせてはかえすもの、なんどもおなじみたいに、でもすこしずつかわってゆくもの。
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とてもむかしに、いまの状態をなにかで読んだら、SFとしかおもえなかっただろうなあって、
新井素子さんの文体で書くとしたら、どんなふうだろうと、書いてみようとしたんだけれど。
書けなくなってました。文体模写、というほどのものでもないんですけれど、読み込んだ作品の文体でなにかを書いてみる、ってゆうあそびを、まえはたまにしていて、
うまくいえないんですけれど、いっこずつ煉瓦を積むみたいにつくった回路があったとして、煉瓦のあいだに、みず、がはいりんこんで、煉瓦の浮遊も含めた、図柄になってる、みたいな。
煉瓦のうえに煉瓦をつむみたいな、つくりかたがむずかしくなってるのかも。論文みたいなものも書けなく(書きづらく)なってそうな気がするなあ、
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「そして生活はつづく」というのは、星野源さんのエッセイの、タイトルですが、
脳溢血のあとのことを書いてたのは、これだったかわすれましたが、死ぬ1歩手前の自分ごとを、がっつりエンターテインメントにしてて。書くことと書かないことの取捨選択が、すごくうまい。
生活すること、生きていること、つづいてゆくこと、くりかえすこと、でもおなじじゃないもののこと。またきっと、ながれてゆくのだとおもうけれど。いまは、
最近のブームは、お花をそだてること。わたしは自分のペースをだいじにするほうですが、この子たちのマイペースさにはかなわないなあと、しみじみおもいます。植え替えてお水をあげるだけで、いろんなものを見せてくれる。惜しみないもの、ってもしかしたらどれも、そうゆうものなのかも、しれないですね。おわり。
○。きょうの一曲。○
赤橙 / ACIDMAN
赤い煉瓦をそっと積み上げて〜♪