髪を切りにいっていて、帰りにかるーく、おいしいお酒とごはんを、
家についてすぐ、雷が鳴って大雨が降ってきました。
タイムリー!とおもいつつ、ほろ酔いでぽやぽやしつつ、ふわふわしながら、
言葉がほどける、みたいなこと、
言葉においては、おおきなおおきな図書館みたいのがあって、
木が生い茂った中庭もあるし、プールもあって、つくりもしっかりしているようなもの。
そこから言葉を拾ってくる、というのがつまりは、なにかを書くってゆうことだったのですけれど、
さいきんどうも、それがぽんこつになりつつあるような……?
ただ生活するだけでも、やることって無数にあるし、わたしは生活を愛しているので、放っておくとなんかやっている、
おどるのは、とゆったら、「からだ」ですね、それに尽きる。
深いところの中心にある、みずうみみたいなもの。からだごと、そこに潜れるようになるのって、一体どれくらい先なんだろうなあ、って、
ニアリーイコール死、といえないこともないけれど、もっともっと生っぽいもの。
美容院にいったあとってなんか、おいしいもの食べたくなりがち。たまにゆくお店での、ごはんもお酒も、安定の美味しさでした……。
テラス席のあるお店だから、まだ良いのかもしれないけれど、飲食店はいま、色々大変そうですね、
とても聡明なご主人で、好きなお店なんだけれども、また落ち着いたら食べにゆこう!
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あったかくなったら、コロナちょっと落ち着くかしら、とおもっていたのだけれど、そいや去年もゴールデンウィークのあたりは、緊急事態宣言でしたね、
おどること、のほかに職のことも鑑みなくてはいけないので、活動においての判断が難しいよおおおお!
4月出るやつは見送り、5月は発令の様子をみて、やるところが何度かライブ見にいっているところで、好きな作家さんが朗読とかもやってたところで、
文化のハブスポットとゆうのでしょうか、そういう場所がほんとうにほんとうに好きで。
サードプレイスみたいなので、そゆところにちみちみ出入りしていると、なんというか空気?みたいなものを呼吸しているなあ、ってゆう感じがするのです、
もともと知らないひとと接するのがけっこう苦手だったのですけれど、「なんとなく」のあれこれって、たぶん音楽の場に出入りしたときに、身につけたような。
頻繁に顔を合わせるのだけれど、相手の素性はほとんど知らない、みたいなのってままあったし、そゆのって気楽さというかそういうものがあって、
ふだんの生活だと相変わらずものすごいゆっくり、おどるのだとその中間にあれこれが、点在している感じ?
いろいろな場がね、続いてゆくとよいなっておもいます。いまはまだこういう状況だから水面下にあること、が、状況が落ち着いてきたときに、ばーーーっと出る気がしていて、
経済的なものですよね、いまもいろんな現場のひとに、ちょいちょいあれこれ聞いてちょっと、恐々としております。
わたしにとっての土台って、おどりはじめるより前に作ってきたものだけれど、
そゆうのって、大事ですよねえ。健康に気をつけつつ、働きつつ、暮らしてゆきたいなあって、おもいます。おわり。