すきなものごと

毎週金曜日、21:00更新。車いすダンサーです。HP:watername.net

ぽかぽか

さいきんあったかくて、日差しが気持ちよくて、隙あらばおひさまのあるところで、ぽかぽかして、

この季節って、お花のかおりがふわっとしたりして、鼻をふんかふんかしつつ、お花さまにうっとりしております。

あっという間に夏!というのが例年の感覚なのですが、今年はなんだか、ちゃんと春っぽい日があるよねえ、ってゆう感じ、

相変わらずちみちみと毎日を暮らしておりますが、またもや緊急事態宣言。

スケジュールもややずれずれ、なのでちみっとずつ、組み直しとゆう感じ、

「いつも」と、変にずれないですんでいるのって、日々を暮らしているひとたちを知っているからだなっておもってる、さいきんです。

 

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こないだ、養老孟司さんのインタビュー記事で、情報化と情報処理について言及してて、

5感から入ってきたものを情報としてひとに伝えるのが「情報化」、すでに情報になったものをどう扱うかが「情報処理」、というもの。

ほとんどの人がやっているのが情報処理の方で、それは5感のインプットが少なくなったからと、つまりはそもそもの素材が集積されていない、みたいなこと?(意訳)

感覚的なものの感度って、生まれ持ったものがあって、さらに環境で加工される、みたいなところあるとおもうのですけれど、

もともと感覚的なものが強いからだ、を持って生まれるケースって、あるのだと思います。

うまく加工すれば、表現するにはプラスに働きますけれど、社会生活という側面では、大変なことの方がおおい気がします、

システムっていうのは人工物なので、感覚を保つことを選ぶのであれば、それらを別扱いして、同時に走らせないといけない。

システムのルールでだけやる、というのであれば、感覚的なものというのはつまりは、重りとかギブスみたいなものを、つけつつ動く、みたいなことなのですよね、

感覚の側から見れば、ブレーキと変形を加味しつつ、ながれをつくるというようなこと。完全に別扱いってゆうのはなかなかにむずかしく、まだまだあれこれ試しつつ、とゆう感じ。

 

植物や自然みたいなものに、できるだけ触れる、っていうのをもう、日常に織り込むレベルでやってきたのですけれど、

それって、やらないということがちょっと考えられないような類のこと。

「それはそういうもの」っておもってたんですけれど、なんかすっと、腑に落ちたような感覚がありました、

言葉にはそういう側面もあるよなっておもいます、名付けえぬものに、かたちを与えるような。

 

いろいろなものを観たり聴いたりもおなじで、そゆ瞬間ってすごく、気持ちが良いですよねえ。おわり。