すきなものごと

毎週金曜日、21:00更新。車いすダンサーです。HP:watername.net

プロジェクタと、ある日々のこと。

毎日毎日僕らは鉄板の〜♪みたいな、毎日ですね!

さいきんプロジェクタを導入いたしまして、夜な夜なPerfumeを観つつ筋トレしております、

クチコミとか見て、わりとお手頃なお値段のを買ったのですけれど、結構クリアに見えるし、なにより大きい!

かわゆすぎて、マイナスイオン出てるよね、っておもうし、尊すぎてむしろ涙ぐんできます。

三人が、健やかに過ごしていますように……!

 

。○。○。○。

 

明確な時期が定かではないのですけれど、とにかくさみしくて、常に人といるか、連絡をとっているか、という感じだった頃があって、

いまおもうと、なにかをすごい勢いで修復していた、みたいな感じもありました。

 

「それ」は本当に暴力的なくらいに、強い力で引っ張るようなもの、というか、うっかりでも目を合わせないようにと、そういうやり方してたのだとおもう、

年上のひとに「だんだん鈍くなっていくから、そういうの大丈夫になっていくよ」っていわれてて。

当時はそんなこと、想像出来ないくらいの切実さでしたけれど、いまは確かに、暴力的な強い力で引っ張られるようなことはなく、

幾重にもセーフティーネットがあるからか、それともそれ自体が変わったのかって、実はよくわかりません。

 

根源的なさみしさ、みたいなものはたとえば、自分の現在地を知るために、星を見上げるようなこと。

だけれど「それ」は、ある種の中毒に似ていて、それを持ち寄ってうまいことはまると、ものすごーーーーい気持ちよさを伴うものでもあったから、

いまおもうと、ハイカロリーなことやっていたな〜とおもうけれど、その切実さみたいなもの。「それ」から逃げるためのこと。

それが確かに、いまのわたしをつくっているものの、一つでもあるよなっておもうのです。

 

やり方を変えたのって、徐々にですけれど、きっかけとして思い当たるのは、自分を引き受けつつ、楽しく生きるんだ!と、腹を決めているひとたちに接したことでしょうか、

「それ」があるのは特別なことではなくて、人生のある時期に、そういうものと折り合う時期があって、わりと多くの人が経験しているのだな、というか。

しかしほんと、ハイカロリーなことやってたなあと、あの時期でなければ、出来なかったことだよなあ、とも、おもうのでした。おわり。