すっかり冬めいてきたきょうこの頃、
さいきんはあったかいスープとか、ちょっとしたものたちにハマっています。
ランチでたまにゆくお店では、熱々のドリアにハマっていて、ブロッコリーとトマトがはいってて、とろとろでおいしいのです、
冷えって、ほんとうによくないので、からだをあっためるようにしつつ、冬の防寒グッズってほんとうによい。
お散歩するのに耳当てほしいなあとか、お店を冷やかす時間がうれしくて、
いまは元の状態に、からだを慣らしている感じが、わりと強いです。いっこずつ少しずつ、今年ももうすぐ、年の瀬ですね。
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いまはそうでもないですけれど、まえはよく手紙を書いていて、
なにかのお礼状もそうなのですけれど、実際に書いてポストに投函して送る、というのは、よろこぶひとはすごいよろこびます。
相手によるので、そこら辺は要見極めって感じでしたけれど、そういう時におもったのって、書き言葉はあんまり伝わらないな、っていうこと、
なにを伝えたいか、にもよるのですけれど、背後に関係性があってさえそうなのだなと。
そのうちに、言葉を色とか音として扱うみたいな感じで、ひらがなまみれの書くようになったってゆう、絵みたいなものですね、
言語学によると、言葉って、作用と反作用があるのですよね、
これは誰しもおなじように、言葉の反作用をうけるということでは、ないのだとおもいます。
からだの性質って、それぞれちがいますからね、
反作用に違和感を感じるひとと、感じないひとが、いるのだとおもいます。
違和感を感じなければ、それはそのひとにとってはなんの問題もないことで、
違和感を感じたひとたちがいたのだなと、先人の残した表現を見て、おもうことありますね。
あとは、寝ているひとの寝言に返事をしてはいけない、ってゆうの、あるじゃないですか、
わたしはあれ、自分が眠っている方で成り立っちゃったことがあるのですけれど。
夢って、無意識の深度にちかいのだとおもうのです。とろっとしてなんというか、あ、これはヤバいんだな、と感じました、
無意識ってたぶん、言葉のルールそのものがちがうのです。
こゆのをなんか、踊るのにも織り込んでゆきたいのですけれども、
からだきたえるのと、もちょっと具体的なの、つくれるようになりたいねえ、マイムでもやろうかしら……。おわり。