冬の足音が「ザッザッザッ!」とゆうかんじのきょうこの頃、
さいきんの悩みは、いつもカットしてくれてた美容師さんが、海外へ武者修行へいってしまったこと。
代わりのひとに切ってもらって気づいたのですけれど、そのひとめっちゃうまかったみたいなのです、
ざっくりしたオーダーでよい感じにしてくれて、カラーとかも絶妙で。
一年でもどってくるし、そのあいだは髪伸ばしてようかな……美容室さがすの、ほんとうににがて………!
こういうのも、生活のインフラとゆうのでしょうか。日々は誰かに、支えられているのですね。
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すきなもの、は、無数にあって、きもちがふるふると、ふるえるような、
ねばっとしたものってゆうか、そゆのがすごい苦手なんですけれど、いつの間にやらクリアになってることって多くて。
ちょっとかんがえたら、毎日の生活のなかにすきなものがあることで、なんとゆうかお清め?みたいなことを、する仕組みになってるのかも、
考えてそうしたわけではないのですけれど、この道をとおるのがすき、とか、お花がすきなのも、お洋服やもちものとかも。
からだの感覚って、ひとそれぞれとおもうのですけれど、わたしの場合は苦手なものが、わりと明確、
それは、からだが嫌がるようなものです。
とはいえ社会生活をおくってると、常に心地よいもののなかで、とゆうわけにもいかないので、自分なりの折り合いなのかも。
働きはじめてすぐは、仕事以外はなにも出来なくくったりしていたのですけれど、
すこし慣れてからは、最低でも月一回、下手したら週一くらいで、音楽の場にいっていました。
出歩くとき、ひとりだったら間違いなく音楽聴いていたし、ひとがおおいところもすごい苦手でした、
だんだんに、誘ってくれたり、自分でもいって、友だちがライブやってたりだとか、そゆので出かけるようになって、なんやかんや平気になりましたけれど。
それがなかったら、ほんとのほんきで、ちーーさく暮らしてたかもしれない、
音楽を介すればひとと関われたというか、そゆ時期はまるで、なにかを鍛えてたみたいな。
いまは鈍くなったのかじょうぶになったのか、出かけるのが苦手、みたいなことはなくなりましたが、
そいや、ずいぶん鍛えてたねえ、と、感慨深かったです。おわり。