さいきんは、ちょびっとぱたぱたしておりまして、
こないだの日曜日にいっこ本番だったのと、5月末のリハがはじまり、5月頭には車椅子競技ダンスのやつ。
車椅子競技ダンスって、型があるやつなので、型を学びたいなあとおもってたのでぴったり、
あと、上半身のつかいかたも学びたいなあと、車いすって普通に乗ってると、横に動きづらいつくりになってるのですよね。
年度切り替わりなので、びみょうに環境も変わりつつ、あれやこれややってるとなんか、ぼーーっとしてしまう瞬間があって、
こゆうのひさしぶりだなあと、発令があってずっと、あんまり出歩けなかったから。
その期間を経て、なので、いろいろ観にも行きたいなあとおもいつつ。
感覚って、動かさないとしぼんでく側面があるとおもうのですけれど、わたしの場合はしぼまなくて、
うごうごするってゆうか、ベースでこれくらい、とゆうのがあって、それより減るとすごく、くるしくなる。
ひとづきあいだと、感覚だけでやってるひとってほぼいないので、おどるの以外で感覚をぜんぶひらいてもへいきなひとって、めずらしい。
いまやろうとしてるのは、それよかいっこ深いとこの感覚で、
それでも通路みたいなものとしては、それも動かせるなら動かしておいたほうがよくて。これはわたしの特性でもあり、バインドでもあるとおもいます。
哲学の手引きしてくれたひとが、「みんな、からだなんていらないのよ」ってゆってて、当時は「??」っておもってたけど、
いまはちょっとわかる気がするとゆうか、わたしもいっしょうけんめい、ロボットになろうとしてた時期あって(働き初めの頃)、
無理だったのですよ。からだを無視するのが出来ないってゆうのは、表現をするうえで(わたしにとっては)、不可欠なこと、なのかも。
それはそれで大変とゆうか、あれこれ変換が必要で、+α・−αってゆう感じですネ!おわり。